良守は思った。ここは、やっぱり自分が攻めなきゃならないと。


曖昧さに終止符を


「なぁ、志々尾」
屋上で昼食を一緒に食べるようになって、どれだけ過ぎただろうか。最近では志々尾の嗜好の傾向まで解るようになってきていて、良守としてはほんの少しばかりの優越感を周りの人間に感じられることがどうしようもなく嬉しくてたまらない。それに加えて、時折志々尾が良守の嗜好をしっかりと覚えていることを証明してくれたりして、またしても嬉しくて仕方がなくなるのだ。そんな、ほんのふとした拍子に嬉しさや喜びを噛み締められる自分は何て幸せなのだろうと思う。けれど人間とは貪欲なもので、前は一緒にいられるだけで、ほんの少しばかり彼と親しくなれるだけでどうしようもなく嬉しかったというのに、今は、もっと、もっと、まだ足りないと心が不平を言っている。人間の欲望には限りがないというが、全く持ってその通りだと思う。
「俺らの関係ってさ、なんだと思う?」
良守の呼びかけに顔を上げた志々尾に問うてみたら、言っている意味が解らないとばかりに志々尾が微かに眉を顰めた。一体何と言っていいものか考えがまとまらず、良守も眉間に皺を寄せる。どうにもこうにも、上手い言葉が見あたらない。今、良守が抱えている複雑な心境をこれぞまさしくと言い放ってくれる言葉がこの世に存在するのか否か、まずはそれ自体が問題なのかも知れない。
「つまりさぁ」
髪を掻き乱しながら、良守は歯切れの悪い言葉を口にする。こう言う時の志々尾は途中で言葉を遮って何かを言おうとしたりしないので、じっと沈黙して良守の言葉を待つ。その沈黙が、今は妙に居心地が悪かった。
「俺達さぁ」
どうにもこうにも歯切れの悪い良守の言葉に、志々尾が眉間の皺を少しばかり深くした。何が言いたいんだと、目が物語っている。うぅむ、と唸りながらいい言葉はないものかと考え倦ねる良守に、早く言えと無言のうちに促してきた。
「『付き合ってる』とか、そんな関係なんかな、って思って」
妙に恥ずかしい気持ちになるのは何故だろうか。照れ紛れに一層激しく髪を掻き乱しながら、良守は志々尾の様子を窺った。ほんの数秒、笑ってしまう程に呆けた表情を見せた志々尾はみるみる間にその眉間に刻まれた皺を深くして、終いには目と顔を伏せて仕舞った。どうやら、志々尾にも酷く難しい問題らしい。
「・・・・・・・・・・・・・」
腕を組み、真剣に考えている様子の志々尾を眺めながら、ふと思う。もしかして自分は、どうしようもなく怖い質問をしてしまったのではないかと。二週間程前、夜の学校で、良守は鮮烈な愛の告白を志々尾へとぶつけたりしてみた。ずっとずっと幼なじみの雪村時音に自分は片思いをしているのだとの思いこみを脱却し、14年という長くもない人生の中できっと今までこんなに使ったことはないのだろうと言うくらいフル回転させた頭の中で出した結論に従った結果であった。取り敢えず、倫理的な問題とか色々な問題を全て投げ捨てて、もしかしたらどうしようもないくらいに自分も志々尾も傷つけて仕舞うかも知れないリスクを承知の上で良守がぶつけた言葉に、志々尾は混乱した表情のまま口付けで応えてくれた。きっと、少女漫画だったらその後は二人はカレカノとかいう関係になって、いつまでもラブラブしました、と締めくくられるに違いない。けれど、自分達はそうもいかなかった。あの日を境にそれまでと何が変わったのかと言えば、さして何が変わったというわけでもない。朝、下駄箱で顔を合わせれば適当な挨拶を交わし、休み時間に廊下で擦れ違えば適当に(良守が)声をかけ、時折(良守が)忘れた教科書を借りに行ったり(持っていないことも多い)、昼食を一緒に屋上でとってそのあとそのまま昼寝をしたり、夜の仕事場で一緒に夜食をとったりと、相も変わらずな日々がそこそこ平和に過ぎている。正直言って、良守の一世一代の清水ダイブの後も先も大して何も変わってはいないのだ。
「良く、解らない・・・・」
志々尾もよく解っていなかったらしい。例えば、心が互いに向いているならばそれで良いと言ってしまえばそれだけなのかも知れないが、良守は出来ることならば形も整えてみたかったりする。例えそれがおおっぴらに言い回れるような甘いものではなくとも、自分の心の中で一つのけじめのように、保険のように、境界線のように、確たるものを良守は欲しいと思うのだ。
「俺の言い方が悪かったんかなぁ?やっぱ」
再び沈黙した志々尾に、同じように腕を組んだ良守が思わず呟く。その言葉に顔を上げた志々尾が、顔に疑問符をくっつけてその言葉の意味を問うてきた。
「その前にさ、まず俺の質問に答えて欲しいんだけど」
「・・・・・・なんだ?」
良守の言葉に、志々尾が怪訝そうな表情を浮かべる。きっと、今度は一体どんな質問を浴びせられるのだろうかと、内心穏やかではないに違いない。そんな志々尾の、あまり変化しない表情の、ほんの少しばかりの変化に気づける自分は本当に志々尾が好きなんだろうなと、改めて認識する。もしかしたら、それだけで自分は満足しなければならないのかも知れない。けれど、若さ故か生まれながらの性質か、どうやらそれだけでは満足できそうもないらしい。だからこそ、ほんの少しでも満足に近づけるために、良守は結構な恐怖をこらえて志々尾への質問を、口にした。
「志々尾、俺のこと、好きか?」
良守の言葉に対して、志々尾は見事なまでに硬直して沈黙を返してくれた。見開かれた目が、固まった表情が、志々尾の動揺を如実に表している。志々尾の返答を待ちながら、どうしようもなく鼓動が早くなって、手に嫌な汗がにじんで来るのが解った。もしも此処で否と応えられたら。そんなことをほんの少し考えるだけで、腹が痛くなってきそうだ。出来ることなら、今すぐこの場から逃げ出したい。けれど、それは出来ない。どんなにこの沈黙が重かろうとも、どんなに心臓が痛かろうとも、良守は志々尾の答えを聞かなくてはならないのだ。
「何・・・・を、言って」
「答えろよ。イエスかノーか、それだけでいいんだ」
真っ直ぐに、ともすれば睨み付けているかのように、志々尾を見つめる。これ以上ないくらいに眼力を込めて、答えろと無言の圧力をかければ、どうしようもなく困った表情の志々尾が不意に、目を反らした。それだけで、何だか泣きたくなる。目を反らし、顔を伏せた志々尾が一瞬だけ口を開きかけて、躊躇ったように口を噤んだ。ああ、泣くかも知れない。咄嗟に良守はそう思った。その、刹那。
「・・・・・・・・・イエス」
小さい声ながらも、はっきりと志々尾はそう応えた。あ、駄目だ。咄嗟に良守はそう思った。絶対自分は泣いている。そう確信した。どんどんと歪んでいく視界を志々尾に気づかれたくなくて、思わず制服の袖で目を強く擦ってから勢いよく顔を上げれば、伏せられたままの志々尾の顔は見えないが、髪の狭間から覗く耳がこれ以上ない程に赤くなっていることに気づいた。
「よかったぁ・・・・・」
へなへなと力が抜けて、思わず肩を落としてしまう。きっと、立ち上がっていたらこの場にへたり込んでいたに違いない。良守の呟きに、志々尾が少しばかり怪訝そうな表情で顔を上げた。良守を見て、何も言わないまま徐に手を伸ばしてきたのでほんの少しばかり驚いて良守は体を硬くした。志々尾の指先が、良守の目尻に押し付けられる。そのままグイと指を滑らせた動作から自分はまだ泣いていたのだと、恥ずかしい事実に気づいてしまった。
「なんで・・・・」
泣いていたんだ。志々尾の言葉に、今度は良守が言葉に詰まった。言えるわけがない。もしもノーと言われたら、だなんて考えていたなんて。そして、志々尾がイエスと言ってくれたことがどうしようもなく嬉しかっただなんて。
「・・・・・・・お前がさ、好きなんだよ俺」
だから、どうしようもなく顔が熱くなるのを承知で良守はそれだけ言った。
「・・・そ・・う、か」
今度は、志々尾の顔は赤くならなかった。その代わりに、どうしようもなく安堵したような、喜んでいるような、そんな風に少しばかり目を眇めて視線をそらした。多分、きっと、志々尾も今の自分と同じようなことを思っているんだろうなぁと、そんなことが解って良守はどうしようもなく嬉しくなった。頬に添えられたままの志々尾の手に、自分の手を重ねてみる。それをゆっくりと握りこんで、ゆっくりと降ろしながら、向き合う形の二人の間で指を絡めてみた。温かくて、柔らかい手だ。少しばかり怖ず怖ずと、志々尾が握り替えしてくれる。体中が心臓になったみたいに、酷くドキドキする。あまりに照れくさくて互いの顔も見れないから、繋ぐ手に精一杯の想いを込めてみた。
「俺は」
志々尾の声がする。一体どんな顔をしているのだろうか。思うが、顔は上げられなかった。
「上手く、言葉を作れない・・・それで良く、人に嫌な思いをさせたり、する。けど」
言って、志々尾は指に込める力を一層強くした。それは痛い程に、強く強く。良守はそれに打ち勝つ力を出すことは出来ないから、もう一方の手を、志々尾の手の上に重ねた。
「これだけは、ちゃんとい言っておく。お前のことが・・・・・好きだ」
お前と同じ意味でだからな。はっきりと言い放たれた言葉に、心臓が止まるかと思った。悲しいとか、絶望したとか、ショックとか、そう言うのとは逆の意味で心臓が凍り付く事があると、良守は思い知らされた。嬉しくて嬉しくて、良守はどうしよもなくなって、はじめの目的を忘れそうになってしまう。忘れてはいけないと、慌てて首を振りながら勢いよく顔を上げ、目の前で未だに顔を伏せている志々尾へと目を向けた。
「志々尾、顔上げて。俺、今から凄く大事な事言うから」
深呼吸を一回。腹筋に力を込める。志々尾が耳を赤くしたまま徐に顔を上げたところで、良守は志々尾の手を握りしめたまま、精一杯の誠意を込めて、言った。
「好きです!俺と、付き合って下さい!!」
一生に一度、言ってみたかった言葉だ。志々尾限という人間が自分の前に現れなかったら、きっと時音に言っていただろう。でも、良守はもう決めていた。一生に一度の清水ダイブも、告白も、志々尾に捧げようと。
「・・・・・・・・」
酷く吃驚した表情で、志々尾が固まった。ぽかん、という表現が一番似合う表情を浮かべて、数秒間沈黙する。その沈黙が、良守にとっては酷く長く感じられた。不意に、志々尾がゆっくりと柔らかく良守の手を解いた。良守の手を良守の膝の上へと戻し、自身はそのまま一歩分後退る。何故そこで後退るのだと、思わず叫びそうになった。いつの間にか志々尾の顔の赤みは引いていて、表情は引き締められている。どうしてそんな顔をするのだと、言ってしまいそうになった。そんな良守を、居住まいを正した志々尾の鋭い視線が射抜く。ほんの一瞬の緊張が、二人の間に走った。そして。
「どうぞ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた志々尾の言葉に、良守は取り敢えず呆けて固まって、どう気の利いた言葉を返せばいいのか切実に困り、結局は何も言えずにただただどうしようもない喜びと嬉しさを噛み締めることしかできなかった。取り敢えずは、曖昧な関係に終止符が打たれたことを純粋に喜んでも良いと、心の底から安心した。



志々尾が、こう、居住まいを正して床に手をつきながら深々と頭を下げて『此方こそ、よろしくお願いします』みたいな光景に萌え死にそうです。
一体何処の結婚式ですか?
一枚の布団を挟んだ初夜とかでも良いですね、こういう遣り取り。
志々尾の家は武道の家だったから、絶対に古風な仕草とかがあると信じています。


この話を書きつつ、昔、『チューしたりエッチしても、告白しないとカレカノじゃないんだよ』と怖いことを言っていた友人を思い出したりしました。

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