目が覚めたとき、気分は最低の一言に尽きた。身体中はこれでもかと言う位に激しく痛むし、意識ははっきりしている癖に世界が回っているかと思えるほい度に酷い目眩が伴った。吐き気が酷くて喉が随分と乾いている。声を出そうとしても、渇ききった喉の奥が引きつれて、うぅ、と言葉にならない呻きが洩れただけだ。どうやら自分は死に損なったようだった。
鮮やかな世界と光
随分と長い間身体が動いていなかった様子で、体中がギシギシと嫌な音を立てて軋んでいる。どうやら布団に寝かされているらしい。天井の明かりが妙に眩しくて、目を開けていること自体が酷い苦痛だった。それでも、目を閉じようとは欠片程も思いつけなかった。目の前には、これ以上ない程驚いた表情を浮かべた良守がいる。こいつも目を閉じると言うことを忘れてしまったのだろうか。目玉がこぼれ落ちるのではないかという程に目を見開いている様子がどことなく滑稽で、志々尾は思わず口の端を持ち上げてしまった。
「志々尾っ!!」
見開いた目に、溢れんばかりの涙が溜まっていく。
「お前なに笑ってんだよ!!」
死にかけてたんだぞ!怒鳴りつけられて、嗚呼そうか、自分は死にかけていたのかと今更ながらに思い出す。不覚にも火黒とかいう妖に背後をとられて、完膚無きまでにしてやられたのだった。
「十日だぞ!十日!!」
どうやら十日間もずっと眠りっぱなしだったらしい。そんなに寝ていたのか、と霧のかかったままの頭の中で薄ぼんやりと考える。何か夢を見ていたような気がするが、よく憶えていない。
「この馬鹿っ・・・もういいとか、満足だとか言うなよ!勝手に死のうとしやがって!ふざけんなよ!!」
溜まりきった涙が、ついに一筋溢れた。それから堰を切ったように、止めどなく涙が良守の頬を伝って流れては、志々尾の顔のすぐ横にはたはたと落ちた。これ以上ないくらい顔を顰めて、まだ何か言い足りない様子で口を開いてから言葉に詰まった様子でその口を閉じる。俯いて、肩を震わせている様子を見上げながら、志々尾は不意に胸の奥底を鷲掴みにされたような、そんな感覚を味わった。今までに感じたことのない、痛みにも似た感覚に思わず眉を顰めれば、良守が慌てた様子で顔を覗き込んできた。
「おい、大丈夫か!?」
「・・・・・・いってぇ」
「傷痕が痛むのか!?」
そうかも知れない。傷は胸と脇腹に受けたから、それが痛むのかも知れない。きっとそうなのだろう。勝手に決めつけて、立ち上がって踵を返そうとした良守のズボンの端を咄嗟に掴めば、突然の事に良守は見事にすっ転び、床に強打した鼻頭を抑えて何をしやがると叫びながら掴みかかってきた。襟首を掴まれて、引き上げられる勢いに一瞬だけ息が途切れる。咳き込めば慌てた様子で手を離して、悪い、とバツが悪そうな表情で小さく呟いた。多少の息苦しさを押し殺したままその顔を見上げれば、良守が此方の方をじぃっと見下ろしてくる。穴があく程に視線を注がれて、しばしの沈黙が舞い降りる。居心地が悪くなってつい目を反らせば、顔を掴まれてグイと視線を戻された。怪我人相手に、とぼやきかけて志々尾は思わず目を眇めた。いつの間にか止まっていた涙が、再び溢れ出したからだ。
「・・・・・っ、志々尾ぉ・・・っ」
ぼたぼたと、大粒の涙が振ってくる。生暖かいそれが頬に落ちてきて、流れ落ちていく感覚は何だか奇妙なものだった。顔をくしゃくしゃにして、自分の名を呟きながらしゃくり上げる良守をただ漠然と眺めながら、志々尾は降りそそいでくる水滴に自分が映り込んでいることに気づいた。天井からの光を綺羅綺羅と反射する雫が妙に綺麗で、志々尾は思わずそれに魅入ってしまった。
「志々尾っ・・・・お前が死ななくて、本当によかった・・っ」
しゃくり上げながら、自分の名を呼び続ける良守の瞳からこぼれ続ける雫があまりに綺麗だったので、志々尾は生き延びることが出来て嬉しいだとか悲しいだとか、そう言った感情を全てどこかに忘れ去ってしまったように感じられた。ただただ、綺羅綺羅と光るがどうしようもなく綺麗で、それを零す良守も、その後ろに広がる世界の全ても、どうしようもなく綺麗で、あまりに綺麗すぎて、志々尾は何だか泣きたくなった。
「泣くなよぉ、志々尾ぉ・・・」
溢れる涙を堪えようともしない、泣き笑いの良守につられて志々尾も辛うじて笑ってしまった。いつの間にか歪んでいた視界に、ようやく自分も泣いていたことに気づいた。涙に歪む世界は光を乱反射させて綺羅綺羅光り、どうしようもなく綺麗に見える。自分のために泣いてくれる存在と、その目からこぼれる幾つもの雫と、後ろに広がる世界と。こんなにも世界は綺麗だったのかと、死に損なって志々尾は初めて気づいた。生き延びたことよりも、そちらの方が余程嬉しいと感じたと白状したら、きっと良守は怒るのだろう。そんなことを考えたら、少何故かしだけ笑えた。
|