志々尾、志々尾、志々尾。気がつけばその名を口にしている事を時音に言われて初めて気がついた。
なんたる不覚なのだろう。


話をしないか?


「なぁー、志々尾」
夜の仕事場で今夜もまたその名を呼ぶ。木の枝の上がお気に入りらしい彼は敷地内の木の上で妖を待ちかまえているのが大抵だ。そんな彼の姿を探し回って校内をうろうろする姿を斑尾が呆れきった目で見ているのは知っているが、奴は大抵斜に構えた目で自分を見ているので気にしないことにしている。
毎晩毎晩、自分は志々尾を見つけては父親が愛情を込めて作ってくれた夜食を共に食そうと誘うのだ(ついでに自分の作った甘くない菓子も食べる)。志々尾が一人で下宿をしていると知った父は、それこそ激しい衝撃を受けたらしく、やれ一人暮らしは危ないだのやれ食生活は大丈夫なのかだの、ともすればお節介とすら言える程に志々尾の身を案じ、それ以来必ず夜の仕事に出かける良守に志々尾の分の夜食も持たせるようになった。
父は志々尾を良守の友達と信じてやまない。思い起こせば良守が『友達』を家に連れて帰ったことがなかったから、きっとそれもあいまっているのだろう。しょっちゅう友達の家に遊びに行ったり時折友達を家に攣れてくる利守と違って良守は小学生の頃からケーキの城を作るという野望に一人で爆進している不健全な子供だったからだ。初めて志々尾が墨村家を訪れたときも、父は無駄に喜んでいた。いくら良守が友達ではないと叫んでも聞く耳を持たず、今度またつれておいでと満面の笑みで繰り返した位だ。余程嬉しかったのだろう。志々尾の二度目の訪問の時の上げ膳据え膳には志々尾自身も辟易としていたが、あれが父の最上級の歓迎の仕方だと知っているから良守としても父の好きにさせていた。困惑している志々尾の姿を見るのも楽しかったからだ。
初めて会ったときは何て嫌な野郎だと、それしか思わなかった。けれど、少しばかり深く付き合うようになってからはそれ程嫌な奴ではないと、志々尾が死の淵から舞い戻ってからは随分と大切な存在だと自覚するようになった。もう口が裂けても『友達じゃねぇ』なんて言えやしないだろう。
「なぁー、志ー々ー尾ぉー」
木々の間をすり抜けながら、頭上を見上げつつ声をあげる。志々尾は耳が良いからきっとこの声が聞こえているはずだ。言ってしまえば、学校の敷地内にさえいれば、何処にいたところで良守の声は聞こえているはずなのだからわざわざ探しながらその名を呼ぶ必要はないのだが、何故だか良守はその姿を探しながらその名を呼ぶ。まるでかくれんぼをしているみたいに、楽しいのだ。
「呼んだか?」
「おう、呼んだ。いつもの事ながら、夜食食おうぜ」
どこぞの木の枝から良守の真上の木の枝まで跳んできた志々尾を見つけて、思わず顔が緩むのが解った。時音を見つけたときと同じ位に心が弾むのは可笑しいことだろうか。
「今日はさ、月も綺麗だし」
木々よりも高い位置に結界を形成すれば、志々尾が一跳びでその上へと到達する。結界の階段を地味に上りながら頂点まで辿り着けば、結界の上に座り込んだ志々尾が待っていた。
夜食の入ったリュックを良守が背負っているので当たり前と言えば当たり前だが、何故か妙に嬉しいと思うのだ。重箱を取り出しながら茶の入ったポットを差し出せばごく自然な流れで志々尾が受け取る。二人分の茶を入れて結界の上に置く姿は随分と見慣れたもので、ここ十日程ずっと毎晩共に夜食を食べていたことにようやく気づいた。
「満月綺麗だな」
「・・・・・・・」
言葉は返さずに、少しばかりの沈黙の中で月を眺めてから静かに頷く志々尾に思わず笑えば怪訝そうに視線を向けてくる。茶を啜りながら月に視線を移し、眺めながら良守は口を開いた。
「月を見ながら夜食だなんて風流じゃね?」
「そうか?」
「どこの爺だよって感じするし」
「するのか?」
「しねぇの?」
尋ねれば、夜行の本部にいた頃はよく屋根の上に昇って月を眺めたらしい。
「お前、案外風流なんだな」
「・・・・ただ、居場所がなかっただけだ」
志々尾の名を口にすることが多くなってから解ったことは色々ある。
必要以上の言葉を口にしない志々尾が時折洩らす言葉達から、志々尾限という人間は案外ネガティブな思考の持ち主で言うことや、自分と同じ年の癖に妙なところ老成しているだとか、何かを考えているような顔をしながら実は何も考えていないことが多いだとか、それこそ色々だ。
「一人で月見てたのか?」
「他に見るものがなかったからな」
「ど田舎なんだな、そこ」
「・・・・・・・」
あらかた食べ終えた弁当を片付けて、リュックの底に仕舞い込んでいた菓子を取り出す。結界の上にそれを置いて蓋を開ける瞬間、いつも志々尾は妙に緊張した面持ちをするのだ。本人は気づいていないのであろうが、きっと以前のチョコレートケーキが相当効いたのだろう。そんなに甘い物が嫌いならば素直に言えばいいのにと、良守は思うのだが志々尾は悪いからと無理して食ってくれたらしい。本当に妙なところで気を遣う奴だと思う。
「甘くないから安心しろよ。てか、昨日も一昨日もその前も甘くなかったろ?」
「・・・・・・・・」
重々しく頷く志々尾が、自分から菓子に手を伸ばしてくれると嬉しい。嫌ならば嫌だと言えと以前言ったら、解ったと応えたので嫌ならば食べないだろうと勝手に決めつけている。そう言えば、家族や時音以外の人間にこうして自分の作品を披露するのは多分志々尾が初めてだ。そう言った点では、自分も随分と志々尾という人間が気に入ったのだろうと、今更ながらに自覚した。そうだ、自分は目の前で無表情に何の感想もなく黙々と菓子を食べる同級生が気に入っているのだ。
「今日、妖出そうか?」
「気配はない」
「お前さ、どのくらいの距離ならわかんの?」
「・・・・・その時の状態による」
「体調とか?」
「あと、天気とか風の向きとか。特に匂いは風に流されやすいからな。気配も大物がいるときは大抵小物を見逃す」
「結構大雑把なんだな、お前の妖レーダー」
「なんだそれは」
「敏感じゃん、お前。だから、妖レーダー」
「・・・・・・・・・・」
むっつりと黙り込む様が面白い。どうやら妖レーダーという言葉はお気に召さないようだ。
「鬼太郎みたいに髪の毛立ったりしねぇの?」
「するかよ、馬鹿」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ」
「今時そんなガキくせぇこと言う奴がいるとはな」
「ガキって言うなよ、タメだろうが」
言い合いには程遠い程度の言葉の応酬をしながら、ああ、楽しいなと心底思った。どうしてこんなに楽しいのだろう。考えて、ふと気がついた。そうだ、こんなにもごく自然に異質な存在を口にすることが出来るからだ。今まで良守の周りの同年代の人間で妖の存在について軽々しく口に出来る相手は時音だけだった。他の人間の前でそんなことを口にすれば頭が可笑しいと言われるようになることを経験的に良守は知っているから、その手のことを口にすることは普段ほとんどない。無理に話題を避けているわけではないが、ついうっかり口が滑らないように意識をすることは多々ある。その気構えが、志々尾の前では要らないのだ。
「そっか、だから気楽なんだ」
「・・・・・・は?」
突然の良守の言葉に志々尾が酷く怪訝な表情を見せる。何でもない、と適当な言葉を返しながら良守はもう一度上空の満月を眺め、酷く楽しい気分で志々尾に視線を戻した。
「なぁ、志々尾」
取り敢えず、何か話そうぜ。
笑いながら言って、良守はどうでも良い下らないことを延々と喋り続けた。世間話なんてものを『友達』としたのは初めてだったから、どうしようもなく楽しくて楽しくて、本当に良守はどうでも良いことを延々と喋り続けた。



良守って学校生活見ている分には普通の『男友達』って感じのがいるんだかいないんだか。
良守が時音ちゃんに懐いているのって、唯一同年代で『同じ物』を見て聞いて話すことが出来る存在だからなのではないかと。
だから、志々尾こそ良守にとっては初めての『友達』何じゃないかと。


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