なぁ、志々尾。ふとした拍子に、呼ばれる。朝、下駄箱で顔を合わせたとき、授業をサボって屋上で眠っているとき、休み時間の廊下で擦れ違ったとき、放課後の教室で帰ろうと立ち上がったとき、帰り道のとりとめない会話で、夜の仕事場で木の上にいるとき、夜食を一緒に食べているとき、それから、それから。
背後に、近くに、良守がいることに気づいている癖に気づかないふりをしているのは彼が自分を見つけたことで嬉しそうな顔をして、名前を呼びながら近づいてくれるのがどうしようもなく嬉しいからだ。


何かが孵化するその時


「なぁ志々尾。俺ってさ、ウザイ?」
屋上で昼寝をしているとき、いつもの如く枕を抱えてやってきた良守が開口一番そう問うてきた。いきなり何をと少しばかり返答に困って沈黙すると、やっぱりウザイのかと肩を落としてあからさまに落ち込んだ素振りで項垂れる良守に少しばかり慌てる。
そんなことはない、決して。
言いかけて、ふと考える。こいつがこんな事を言ってくると言うことはどうせ雪村時音関連に違いない。確かに彼女に対する良守の態度は端から見ていても鬱陶しいかも知れないと思うときが多々あるので、迂闊なことは言わない方が良いかも知れない。そんなことを考えたら、一体なんて言えばいいのか解らなくなって取り敢えず口を閉ざすことしかできなくなる。
「・・・・・そんなマジ顔する位、俺ウザイのか?」
沈黙が十秒程続いたとき、酷く恐ろしいことを効くような声色で良守が顔を覗き込んできた。気がついた時にはどうしようもない程落ち込んで項垂れている良守が目の前にいて、やってしまったと志々尾は思わず舌打ちをする。どうして行、自分は言葉が足りないのか。
「・・・・舌打ちまでしなくても・・・」
「違っ・・・!いや、別に・・・俺は、ウザイとか思わない」
取り敢えず、雪村時音にとってどうかと言うことかは置いておき、自分の感想を述べておく。すると、今までの落ち込みは何処に行ったのだと突っ込みたくなる程の素早さで良守の周りを取り巻く空気が明るいものになり、笑顔で顔を上げた良守がずいと一歩志々尾へと歩み寄ってきた。
「マジ!?俺、ウザくねぇ!?」
「別に・・・俺は、そんな風には思わない」
良守の勢いに気圧されそうになりながら、取り敢えずそれだけは言わないといけないような気がしてそれだけ言えば、良守の笑顔に一生の喜色が浮かび上がった。
「・・・・が、雪村時音がどう思っているかは知らん」
取り敢えず、それも言っておかなければ成らないような気がしたので言っておいた、の、だが。
「はぁ?なんでそこに時音が出てくんだよ?」
良守は至極怪訝な表情を浮かべ、何を言っているのだとばかりの声をあげた。
「またあの女に何か言われたんじゃないのか?」
「また・・・とか言うなよ。いや、別にそんなんじゃねーよ。ただ、ふっと気になったって言うか不安になったって言うか」
「何を」
反射的に問うた志々尾に、良守が反射的に顔を赤くする。酷く動揺した素振りで身体を強ばらせてから、ややあって徐に口を開いた。何故そこで赤くなるのだと問いかけそうになり、何だかやぶ蛇をつつきそうなので辞めておくことにする。
「いや・・・ほら、最近俺、志々尾志々尾って五月蠅くねぇかなぁって、急に思ってさ」
照れ隠しなのか、少しばかり顔を背けて髪を掻き乱す。そんな仕草を、志々尾は茫然と眺めていた。
「お前にウザイって思われたら、マジ凹みそうだったんだけどさ。でもウザイ事し続けて嫌われたらもっと凹むし。あー・・・、でもマジよかったぁ」
俺さ、お前のこと結構好きだからさ。照れたような表情での良守の言葉に、志々尾は完全にフリーズした。まさか、いや、でも。
「今・・・何て・・・?」
「は?いや、ウザがられてなくて良かったって・・・」
「いや、そのあと・・・いや、いい」
いいと言ってから、やはりもう一度言ってもらえば良かったかも知れないと切実に後悔する。でも、自分は確かに聞いた。
良守が、自分のことを『結構好き』と言ってくれたことを。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
瞬間的に、顔面に血が上るのが解った。みるみる間に赤くなったであろう顔を見られたくなくて、志々尾は立ち上がった勢いのまま屋上から逃げ出した。妙に恥ずかしい。でも、どうしようもなく嬉しい。嬉しすぎる。嫌われることに離れていたが、真正面から好意を寄せられることには殆ど免疫がなくて。どうしようと、切実に思い悩む。これからどんな顔をして良守と会えばいいのだろう。
(ていうか、こんな事考えている俺の方がよっぽどウザいかも・・・)
そんな事を考えながらも、取り敢えずは今夜の仕事の時に自分も良守の事が結構好きだと言うことを、それとなく伝えようと思った。


志々尾は多分『友達』ってものがいなかったから(夜行の仲間はちょっと違う感じ)、こんな風に真っ直ぐ好意を向けられると酷く困惑しそう。
嬉しすぎて、どうしたらいいか解らなくなるくらい動揺して、自分で駄目だしとかすればいい。


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