時音だったら、きっといくらでも理由は見つかるのに。
ふとそんなことを考えて、良守は深く息を吐いた。
戻れるものならば戻りたい。
けれど、戻りたくはない。


結局は手遅れ


きっと気づかなければ良守のこの先は今まで通り脳天気で少しばかり苦労を背負った、それだけのものだったのだろう。だが良守は気づいてしまった(気づかされたとも言える)。何とも非常識で不可解で、どうしようもない種類の感情が自分の中に発生していると言うことを。何故、だとか、どうして、だとか、そんな言葉だけが頭の中をグルグルと回り続けて、普段全然使わない頭の、使っていない部分までフル回転させてその理由を考えたが結局理由らしい理由は見つからず(当然と言えば当然だろう)、良守は突然自覚に至ってしまったその感情をどうにもこうにも持て余す以外に何も出来やしない。いかに前向きで力押しの大好きな自分とは言え、流石に今回ばかりはどうして良いのか見当もつかず、にっちもさっちもいかなくなって良守は夜未の滞在する部屋のふすまを叩いたのだった。


**


「いいんじゃないの?好きなら好きで」
夜未の言葉は酷く投げ遣りで、良守は正座をしたまま途方に暮れた。小さな小机の上で何かを紙に書き記している夜未は良守に背を向けたまま、自分は忙しいのだと無言のうちに圧力をかけてくる。あまり虫の居所は良くないらしい。かといって、それだけ言われて引き下がるわけにもいかない良守がいつまでもその場を動く気配を見せないと、淀みなく紙の上を滑っていた右腕が不意に止まった。
「鬱陶しいのよ」
「・・・・・・解ってます」
時音に言われたらこれ以上ない位落ち込むであろう科白にも、一応凹みはするが負けたりはしない。頑として動こうとしない良守に夜未は小さく息を吐き、手にした筆を置いて徐に良守へと向き直った。その目が、煩わしいと如実に物語っている。幼顔の癖に妙に迫力のある視線にややたじろぎつつも、良守は意を決して口を開いた。
「夜未さんのせいですよ」
「どういう理屈よ」
「夜未さんがあんな事言わなかったら、俺、一生気づかなかったのに」
「じゃぁ、気づかないふりしていれば?」
「そうもいかないから困ってるんじゃないですか」
「何がどう困るのよ」
「この青臭い感情をどうすればいいものかと・・・」
良守の言葉に、弾かれるように夜未が笑った。あはははは、ばっかじゃないの。小机にもだれかかり、肩を震わせて、頬にかかる髪を指先で払う仕草が妙に艶めかしいのは気のせいであろうか。足を崩して小さく息を吐き、あーあ、と小さく肩を竦めて見せた。
「私に何を相談したいって言うのよ。男同士の色恋沙汰に口出す趣味はないんだけれど」
「いや、色恋沙汰云々ってよりも、もっと根本的な問題というか何というか・・・」
言葉を濁す良守を見つめる夜未の眼に微かな苛立ちが浮かぶ。あんた何が言いたいの、と苛立ちを隠そうともせずに乱暴に髪を掻き上げた。
「俺は、どうしたら良いんでしょう・・・・?」
「告白でもしたら?中坊らしく」
「なっ!?いきなりそこにとびますか!?」
「何がいきなりなのよ」
夜未の眉間に皺が寄る。いい加減に鬱陶しいと、無言のうちに視線が棘を含み始めた。
「だから・・・っ!その、やっぱ・・・男同士だし・・・なんていうか・・・、出会ってまだそう経ってないし」
「ああ・・・、つまり、腰がひけてるんでしょ?だったらやめとけば?」
はい、これで解決。そう言い放って良守に背を向けようとした夜未に良守は慌てて縋った。
「夜未さーん!!」
「鬱陶しいわねぇもう!!なんなのよあんたは!?私に何て言って欲しいわけ!?」
縋り付く良守の頭を押し返して、夜未は声を荒げる。着物が乱れるから離れろと叱りつけられて、不承不承良守は夜未から腕を放した。少しばかり乱れた襟元を直しつつ夜未は深く大きく息を吐き、前髪を掻き上げて良守を見据える。
「・・・衆道の輩、紹介してやりましょうか?」
「衆道・・・?」
「そのケのある奴らのこと」
「結構です!!」
「私なんかに聞くよりも、よっぽど有意義なお話ししてくれるわよぅ?」
身体にも教え込んでくれるかもよ?からかいを含んだその言葉に、良守は思わず叫んだ。一気に顔が熱くなっていく。その様を夜未に笑われて、良守は眉を下げた。
「・・・やっぱ、気持ち悪い、ですか?」
「なにが」
「その・・・男なのに・・・、男が好き、だなんて」
す、と夜未の目が眇められる。漆黒の目に射抜かれて、良守は少しばかりたじろいだ。それでも目だけは反らさないよう、良守は居住まいを正す。目を反らせば、きっと夜未はまともな言葉を返してくれなくなるだろう。少しばかり重苦しい沈黙が二人の間に舞い降りて、不意に夜未が小さく息を吐いた。
「言ったでしょう?異能者には、そう言う奴が多いって。珍しいとも思わなきゃ、気持ち悪いとも思わないわよ。ただ、物好きねって思うだけ」
苦笑しながら、夜未は言う。あーあ、と肩を竦め、良守に応えるように居住まいを正した。
「私、怖いなら考えなければいいって言ったわね。でも、あんたは考えた。それで、ちゃんと答えも出した。そこまで出来たなら、畏れることは無意味よ」
あんたのこと、ちょっとだけ見直したわ。呟いた夜未の言葉は、少しばかり悔しそうに良守に響いた。
「大丈夫よ」
「・・・・何が、ですか?」
「さぁ、何かしら」
大丈夫よ。もう一度言葉を紡いで、夜未は目を閉じた。
「昨日ね、限の所に行ってきたのよ」
「・・・・・志々尾の、所にですか?」
「相変わらず可愛い奴だなぁって、思ったわ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あんたも、同じ位可愛い奴ね」
「夜未さん・・・それって───」
「お風呂頂くわ」
良守の言葉を遮って、夜未は立ち上がる。その言葉の意味を噛み砕けないままの良守に意味ありげな笑みを残して夜未はその傍らをすり抜けた。
「あんた達若いんだからさ、もっとぶつかっていけば?」
ふすまが閉ざされるその間際、夜未の残したその言葉がそのまま答えのような気がした。
つまり、結局はもう手遅れなのだ。
自分も、もしかしたら志々尾も。
半場愕然とそんなことを思いながら、そろそろ仕事の時間だと良守はノロノロ立ち上がった。きっと今夜の仕事はいつも以上にボロボロに違いない。

夜未さんは素直には教えてくれそうにもないので、自分で頑張って気づけ!良守!!


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