「何よ、その顔」
きっと自分はどうしようもなく間の抜けた顔をしていたに違いない。不機嫌そうに、それでいてどこか呆れた様子で見下ろしてくるその人をどんな表情で見つめればいいのか解らなくて良守は取り敢えず髪を掻き乱して、はぁ、と歯切れの悪い言葉を返すだけだった。
「ま、そんな顔するのも当然よね。私のしでかしたことを考えれば」
初めて会った時の、どことなく幼くて少しばかり間の抜けた様相をかなぐり捨てた彼女の表情はどちらかと言えば突き放した印象で酷く素っ気ない。随分と印象が変わったことに面食らってしまった良守を怪訝そうで見つめながら、今度こそ裏界からの正式な書状を手にした使者殿は小さく肩を竦めて口を開いた。
「でも今度は大丈夫よ。ちゃんとあんたの兄さんに言われてきてるんだから」
心配なら電話してみたら?それだけ言ってさっさと墨村家の門をくぐってしまった彼女の後を追う形で良守は自宅の門をくぐったのだった。


三日月笑い


「春日さんてさ、兄貴と仲良いんですか?」
「・・・・あぁ?」
今度こそ正式な使者であることをしっかりかっちり確認された夜未は夜行の頭領の言いつけ通り墨守家に滞在することになった。夕方、泊まる部屋を父親が準備している間に時間を持て余して居間のコタツに入っていた所に風呂上がりの良守が声をかけたのだが、その言葉が、えらく気に食わなかったらしい。眉間に皺を寄せた夜未の低い声に思わずたじろぎ、馬鹿言わないでよとの言葉に思わず苦笑いが浮かぶ。そのまま部屋に戻ろうかとも思いつつもなんとなしに夜未の斜め向かいへと腰を下ろせば、ちらりと一瞬だけ視線を向けられ、すぐそらされた。
(・・・なんか、視線が冷たい気がする)
「ヨキは?」
「裏会本部にいるわ」
「え?」
「一応これでも元反逆者だからね。何しでかすか分かんないから、裏会から離れる時はヨキを人質にされてんのよ。下手な考え起こさないようにってね」
「・・・ひでぇ」
夜未のヨキへ対する愛情を知ってそんなことをするだなんて、と思わず良守が呟けば、夜未が墨守家にやってきて初めて口元に小さく笑みを浮かべた。酷く、皮肉気な笑みではあったが。
「あんたの兄貴よ、ヨキを人質にしてんの」
酷いでしょう?目を眇めた笑みはどこか人形のようで、良守はその笑みがあまり好きではなかった。それでも、夜未の言葉は自分でも意外に思う程ショックなもので、言葉を失ってしまった。普段どんなに噛み付いていても、正守は自分の実の兄であるわけで、そんな正守を心の底から尊敬している人間なんかもいるわけで、取り敢えず、何と言ったらいいか解らなかったがショックだったのだ。
「・・・・・・すいません・・・」
顔を伏せてそれだけ言えば、沈黙が舞い降りる。
「・・・・やめてよ、そんな風に落ち込まれると後味悪いじゃない」
言って、夜未は良守の額に掌を押し当ててグイと顔を上げさせた。視線を上げたその先には少しばかりバツの悪そうな夜未の顔がある。
「いや・・・、でも、兄貴がそんな酷いことを・・・」
「あーもう!違うわよ!!」
もそもそと口を動かした良守に、苛立った様子で夜未が声を荒げた。
「私は・・・本当なら幽閉とかなっててもおかしくなかったのよ・・・それを、あんたの兄貴が・・・・その、助けてくれたのよ。ヨキのことだって、そうでもしないと納得しない上を言いくるめるための苦肉の策というか、何て言うか・・・」
助けてくれた、と言う言葉を口にするのが心底嫌そうな様子ではあったが、一応言い切って夜未は大きく溜息を吐いて見せた。
「ちょっと、からかってやろうと思ったのよ・・・。そんなマジに取るなんて思わなかったわ」
もう一度溜息を吐く。前髪を少し乱暴に掻き上げながら、ちらりと良守へと視線を向けてくるその視線には、先程みたいな皮肉の色はない。本気で落ち込みかけた良守を窺うようなその表情は随分と幼く見えて、思わず良守は笑いを噛み殺した。どうやら、根は物凄くいい人のようだ。
「春日さんって、兄貴のこと嫌いなの?」
「嫌いよ」
「うわ、即答!?なんで?」
「あいつがね、とっても嫌な男だからよ」
ふふふ、とまた作った笑みを浮かべる夜未を見て、良守は苦笑い浮かべる。これは相当嫌っているのだろう。ここまで嫌われるだなんて、内の兄貴は一体何をしたんだ。そんなことを考えて、聞きたいような気もしたが、何だか怖いような気もしたので聞かないことにする。
「夜行には慣れたんですか?」
「慣れるも何もないわよ」
「ないんですか?」
「あのねぇ、私を捕まえに来た二人のハゲの態度覚えていないの?」
「ハゲ、じゃなくて・・・・坊主じゃないんですか?」
「知った事じゃないわ。ハゲって言うと怒るから言ってやってるだけよ」
はん、と言い放つ夜未の言葉には容赦というものがない。この人に嫌われると怖いなぁと思いながら、良守は言葉の先を促した。
「あいつらが私のことを嫌ってるのよ。力もない癖に口ばっかり達者な女狐って」
上等よ、と夜未は肩を竦めて見せた。
「もともとなれ合うつもりはないもの。私が夜行に入ったのだってヨキの為だし・・・。仕事上支障がない程度の遣り取りが出来れば十分よ」
「・・・・・・寂しくないんですか?」
「寂しい?」
良守の言葉に、夜未は吹き出した。あはははは、何言ってるの。笑いながら、小馬鹿にした表情を良守に向ける。
「私はずっと一人だったもの。寂しい時や悲しい時傍にいてくれたのはヨキだけ。だから、ヨキさえいれば私は寂しくなんかないし、悲しくもないの」
「でも・・・何て言うか、友達は多い方が良いって言うか・・・」
「友達、ねぇ・・・」
爪と爪を擦り合わせながら夜未は言葉を繰り返す。綺麗に形整えられた爪がコタツの上を引っ掻くように滑っていった。
「欲しい奴は作ればいいのよ。私は、別に要らないもの」
小馬鹿にした表情を崩さぬままの夜未の声色が、どこか悲しげに聞こえた。良守は何か言いたい衝動にかられたが、一体何を言いたいのか自分でも解らなくて開きかけた口を閉ざすことと相成ってしまう。そんな良守を無感動に眺めていた夜未が、不意に口元を緩めた。
「あんたは優しい子ねぇ」
そのまま手を伸ばして、わしゃわしゃと良守の頭を撫でつけてきた。細くてしなやかな指に思わず照れて顔をそらせば、クスクスと小さく笑う声が聞こえてくる。視線を戻せば口元に手を添えた夜未が、酷く楽しそうに笑っていた。
「ほんと、似てない兄弟ね」
笑いながら、夜未は言葉を続ける。
「限とはいい友達になれた?」
「!?」
突然挙がった名前に良守が思わず肩を跳ね上げさせれば、逆に驚いた表情で夜未は手を引っ込めた。
「何よ、その反応。そんな変な事言ったかしら?」
「いや、意外な人から意外な名前が出てきたなって思って」
「・・・ああ、そう言うこと」
ふぅん、とコタツに片肘をつきながら夜未は呟く。頬にかかる切りそろえた髪が微かに揺れて、次いで口元が微かに持ち上がる。
「結構仲良いのよ、私達」
「・・・・え!?」
「私が夜行に入ってから、一番口聞いたのって限じゃないかしら。縁側でお茶飲んだこともあるわよ」
指先に髪を絡まして、くるくると弄ぶ。その時のことを思い出しているのか視線は良守から外れていた。
「・・・・友達、いないんじゃ?」
「友達ってわけじゃないわ。たまに縁側でお茶飲んだり話したりしただけだもの」
そう言うのを友達って言うんじゃないだろうか。言いかけて、口を噤む。何となく、少しばかり、面白くない気がしたからだ。
「なにその顔。妬いてんの?」
良守の顔を見て、からかうように夜未がいう。
「や、妬いてなんか!!」
その言葉に自分でも驚く位に動揺して、思わず声を荒げるが言葉が最後まで続かない。そんな良守を眺めていた夜未はいつの間にか表情を消しており、しばらく静かに沈黙した後に不意に口を開いた。
「あんた、限が好きなのね」
「な、何言ってんだよあんた!?」
「あらやだ、自覚なかったの?」
とんでもないことをサラリと言い放ってから、夜未は急須から湯飲みに茶を注いで良守に差し出してきた。落ち着け、と言うことなのだろう。差し出された湯飲みの中身を一気に飲み干してから良守は夜未を睨み付けるが、夜未はその視線を何とも軽くいなして言葉を続けた。
「そんな赤い顔して睨まれたって、可愛いだけよ」
言いながら、自身も一口茶を飲む。飲んでから、言葉を失ったままの良守に視線を戻し、口の端を持ち上げて見せた。先程まで彼女を包んでいたどこか幼い雰囲気が、いつの間にか艶のあるものに変化していることに気づいて、良守は思わず圧倒される。
「春日さん・・・、その『好き』ってのは・・・」
「あんたが想像してる方のよ。いいじゃないの、そんなに照れなくたって」
さっきの態度だってバレバレじゃないのよ。言い切られて、今までになく良守は動揺した。正直なところ、よく解らないからだ。
「もともと異能者ってのはアブノーマルな性癖持ってる奴多いし。男同士だからってそう珍しいものじゃないわよ」
言って、もう一口茶を啜る。いつの間にか彼女の中では良守が志々尾のことを好きだと確定している様子であり、一体どうしたものかと良守は眉を下げた。
「でも・・・俺は、時音が・・・」
「好きって?」
湯飲みを掌にのせたまま、夜未が言葉の先を受け継ぐ。これ以上ない程自分の顔が赤くなっているのを自覚しながら頷けば、夜未は、ははんと鼻先でそれを笑い飛ばした。
「そう思ってるなら、それで良いじゃないの?」
「そう思ってるって・・・どういう事ですか」
その言い方はまるで、自分が何かを勘違いしているようではないか。少しばかりムッとして睨み付ければ、その視線をサラリと流して夜未は取り澄まして言い切った。
「言葉の通りよ。雪村時音が好きだって思いこんでるなら、それでいいってことよ。そっちの方があんたにしたら心健やかにいられるんでしょ」
端から見ていて笑えるけれど。
夜未の言葉の中に、鋭い棘を感じた。その棘にはきっと毒も仕込まれているに違いない。
「思いこんでるって、どういう事だよ」
押し殺した声で問えば、わざとらしく肩を竦められた。
「私に言わせて貰えば、あんたは単純に雪村時音に懐いているだけで、そこに恋愛感情が伴ってるとは思えないって言ってるの」
「・・・・・マジ・・・っすか?」
「大マジよ」
槍で心臓を貫かれたような衝撃をおぼえて思わず呟けば、すました顔のまま夜未が、ええ、とあっさり頷いて見せた。
「小鴨が親鴨にくっついてるのと一緒よ」
言って、不意に酷く楽しげな表情を浮かべる。何だか背筋がぞわりとしたが、良守はその言葉の先を促すしかできない。
「あんたも、友達いなかったんじゃないの?雪村時音以外に」
敢えてその先の言葉は言わないとばかりに、夜未はそこで言葉を切って徐に立ち上がった。咄嗟に着物の裾をつかみかけて手を伸ばし、手の甲を叩き落とされる。背後から、部屋の準備が出来ましたよと父の声が聞こえて、夜未は部屋を出て行こうとする。
「春日さん!!」
その後ろ姿に、思わず声を投げつけた。緩やかに振り返った夜未の口元には妙に艶のある、それでいてどこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいて、なぁに、とわざとらしい猫撫で声がその唇からこぼれ落ちる。
「怖いなら、何も考えなけりゃいいのよ」
三日月の笑みに呑み込まれて言葉を失った良守に、夜未はそれだけ言って部屋を出た。
残されたのは、三日月の唇からこぼれた波紋だけだった。


春日さんと少年達を絡ませたい!!


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