天気の良い朝、学生達の姿がちらほらと見られる通学路を歩く着物の女の姿を良守は追った。少しばかり足早に歩くその後ろ姿から、ついてくるなと無言の圧力がヒシヒシと伝わってくる。だが、そんな無言の声に負ける程、良守は打たれ弱くはなかった。
「なんでついてくるのよ」
「一応通学路なんですけど・・・」
「歩調あわせてきてるでしょ。煩わしいんだけど」
「・・・・もう、そのテの科白には慣れました。良いんです。どうせ俺、うざったくてしつこくて、煩わしくて鬱陶しい奴ですから」
時音にもよく言われている。確かに、思い返してみると自分は相当鬱陶しい存在だったに違いない。今まで申し訳なかったな、等と頭の奥の方でぼんやり思っている自分が何となく滑稽で、良守は思わず笑った。
「一人で笑わないでよ。気持ち悪い」
「春日さんって、可愛い顔してるのに口は悪いですよね」
「かわっ・・・!?あんた、ガキの癖に何言ってるのよ!!」
少しばかり動揺する様が、可愛らしいのだと言ったら怒られるだろうか。怒られるのだろうと確信しながら良守がそれを口にすれば、少しばかり顔を赤くした夜未が顔を背けた。あんた、あの男の弟だわ。呟かれた夜未の言葉の意味はよく解らなかったが、取り敢えず、それは気にしないことにした。今は、彼女に言いたいことがある。それだけなのだ。きっと、彼女の度肝を抜けるに違いない。
「言いたいことがあるなら、さっさと言いなさいよ。私、次の角右折するから」
「春日さん、俺、ぶつかってみることにしました」
その言葉に、瞠目して言葉を失った夜未を見て少しばかりスカッとした気分になった。空はくしくも晴天で、何だかこのまま飛べるような気までした。


空も飛べない僕達は


昼休みの屋上。昼食を持って志々尾を待つ。一緒に食べようとどちらが言いだしたわけではないが、いつからか屋上で昼食を一緒に食べることが習慣になっていた。良守の父が限君に、と弁当を持たせるようになってからだ。殆ど会話もなく、食べ終わったらそのまま二人とも昼寝に突入するような、そんな昼食である。そんな昼食が、もしかしたら今日以降なくなるかも知れない。いや、もしかしたらではなく、多分なくなるだろう。良守は、今日これから清水の舞台から飛び降りるのだ。
「よぅ」
屋上の鉄柵に跳び乗ってきた志々尾に軽く手を振った。志々尾は時々、階段口以外の場所からやって来る。四時間目は体育だったのだろう。ジャージを着たままの志々尾はそのまま校舎の壁を跳んで屋上にやって来た。
「人に見られたらまずいんじゃねぇの?」
「・・・・・・・・・・」
無言のまま鉄柵から飛び降りてくる。自覚はあるらしい。
「待たせたら悪いと思った」
「いいよ。ちょっとくらい」
次からちゃんと着替えて階段昇って来いよ。言えば、無言で志々尾は頷く。気怠げな足取りで良守のすぐ前にまで来て腰を下ろす志々尾に重箱を突き出す。女子が見れば目を丸くするような量ではあるが、育ち盛りの、加えて毎晩毎晩学校中を走り回っている少年二人には少ない位だ。時折良守が口を開く以外は無言の昼食を終えて、重箱を片付けながら良守は一度大きく深呼吸をした。話しがあるんだと切り出せば、あからさまに動揺した志々尾が身体を強ばらせて恐る恐る顔を上げた。瞠目して、言葉を失っている様が何となく可笑しい。まるで良守がこれから口にすることが解っているかのように、志々尾は酷く落ち着かない様子で視線を宙へと泳がせた。そんな様子を見ていると、何となく、折角固めた覚悟が揺らいでくるから不思議なものだ。嫌われて軽蔑されて避けられるようになってしまっても良いと、そこまで思い詰めたというのに、いざ本人を前にすると気勢はそがれて気持ちのベクトルは一気にマイナスへと方向転換をしてしまう。そもそも、どうして自分はこんなにも急速に自分の気持ちを伝えようと、否、伝えなくてはならないと思いこんでしまったのだろう。自分の気持ちを自覚した瞬間に、ああ、伝えなくてはならないと、そう思ったのだ。それは酷く焦燥を伴った容赦のない突風のような感情で、良守を突き動かしては今更尻込みをしているどうしようもない衝動だ。どうしよう、と志々尾の顔を見た。目があって、酷く動揺している志々尾の表情に、良守は本能的に何故自分が今、此処にいるのかを理解した。
「・・・昨日さ」
意を決して、口を開く。今言わなくては、志々尾はきっと、後退ってしまうだろうからだ。
「俺、聞いたよな。俺らって、友達なんかなって」
志々尾が身体を強ばらせる。表情も強ばっていて、頼りなく視線を外そうとした。その顔を、無理矢理自分の方へと向けさせれば、掌に当たる志々尾の皮膚の温度が少しだけ上昇したような、そんな気がした。
「お前、逃げたよな」
酷く鼓動が早くて強い。自分が物凄く緊張しているのが解る。喉がカラカラに乾いて、上手く言葉が紡げているのか、少しだけ不安になった。
「・・・・悪かった」
志々尾が俯く。その顔をもう一度自分の方へと向けさせて、良守はありったけの気力を振り絞って喉を引きつらせた。きっと、こんなにも緊張した事なんて生まれてこの方一度もなかったはずだ。緊張のあまり、指先が微かに震えているのが志々尾に伝わってしまったかも知れない。
「答え、聞かせてくれね?」
これ以上なく見開かれた志々尾の目に自分だけが映り込んでいることに気づいて、良守は少しだけ良い気分になった。もしかしたら、このまま空だって飛べるかも知れないだなんて、すぐ横の金網越しの空を目に映しながら馬鹿馬鹿しいことを考えて思わず笑ってしまった。


**


考えあぐねた結果は、散々なものだった。友達なのかと問われて、何故そうだと即答できなかったのだろうかと、吐き気がする程考えた。異能者の集う裏会、同じ年頃の子供達も数多くいる夜行でも自分はずっと一人浮いている存在だった。人間を相手にするよりも妖獣を相手にしている方が気楽と感じてしまう自分にも問題があったのだろうが、昔から『友達』という単語には縁遠い所で生きていたのでその定義も実はよく解っていない。こちらがそうだと思っていたとしても、あちらがそう思ってくれているかだなんて保証は何処にもない上に、確かめることは甚だ難しい事だ。人は、口先では何とでも言える生き物だから(自分の場合は、口先だけでもそう言ってくれる人間はいなかったように思える)、どうして友達だの友情だのという酷く曖昧な単語を簡単に信じて口に出来るのかが志々尾には解らなかった。だから、昨晩良守に自分達は友達なのだろうかと問われた時、まずはそのままの意味で返答につまり、そのすぐあとに別の意味で返答に詰まってしまった。良守は、きっと自分が今まで生きてきた中で一番『友達』らしい付き合いをしてくれた人間だろう。志々尾が死に損なった時はどうしようもないくらいに泣いてくれて、生き延びたことをこれ以上ない程喜んでくれた。夜行でも、学校でも、自分は同世代の少年とは異質の存在であることを酷く思い知ったが、良守はこんな自分に踏み込んできてくれた。だから、彼が自分のことを友達と言ってくれれば本当に嬉しいことこの上ないだろう。そう、思っていた。なのに。
「答え、聞かせてくれね?」
どうして自分は答えることが出来ないのだろう。『そうなんじゃないのか?』とか、『さぁな』など、適当な言葉を気怠げに返せばいいだけだ。それだけ言えれば、この張りつめた空気から自分は解放されるというのに、何故だろうか。解っている。『友達』というカテゴリーに彼を括ってしまいたくないと、自分は思っているからだ。何て浅ましいのだろう。何て傲慢なんだろう。そう思うが、想いに歯止めをかけることが出来ない。どうにもこうにも、自分は駄目なのだ。いつもいつも、すぐに利己的に、抑制がきかなくなってしまう。何故、昨日の今日でそんなことを問うてくるのだと、志々尾は切実に良守のことを恨んだ。せめて今日一日、それだけの時間をくれれば隠す以外にないこの感情をどうにかこうにか押し殺すことが出来たかも知れないと言うのに。もう駄目だ。そんな諦めの感情が、志々尾の脳裏を支配する。もう隠しようがない。
「聞きたいのか?」
溜息を吐く。やっぱいいだなんて言ってくれないだろうか。そんな一縷の望みを託して良守を見つめれば、聞きたいと、良守は酷く強ばった表情で頷いた。多分、折角出来た『友達』に一番近い存在を自分は失うのだろう。何処までも落ち込んでいくような、嫌な感覚を志々尾は腹の奥底に感じた。


**


聞きたいのかと問われて、どうしようもなく鼓動が強まった。落ち着け俺、と言い聞かせながら志々尾の言葉を待つ。志々尾は諦めきった表情で、目を伏せながら溜息を吐く。そんなに言いたくないのだろうかと思わず眉を下げたくなるが、取り敢えずは答えを聞くまではこらえようと思う。
「・・・・・・・・」
志々尾は口を一の字に引き結んだまま数十秒沈黙を守った。じりじりと焦れるような感覚が胸に痛い。焼け付くような焦燥に胸の辺りのシャツを掻きむしりたい衝動にかられ、良守は息を止めた。志々尾の引き結ばれた唇が微かに震えて、目が伏せられる。
「俺は、お前を、そう言う風には見れない」
絶望なのか、歓喜なのか、その両方なのか、酷く複雑で理解に苦しむ感情が良守の胸の奥を突き抜けた。まだだ。自分に言い聞かせる。これだけでは、喜ぶわけにも絶望するわけにもいかない。
「それってさ、どういう意味?」
「そのまんまの意味だ」
「良い意味でか悪い意味でかって聞いてんだよ」
「どういう事だ」
志々尾の動揺が酷くなる。良守から目を反らしたまま、逃げようと立ち上がったその腕を反射的に掴んだ。きっとこれ以上志々尾は言ってくれないだろう。身体が傷つくことを厭わない反面、心が傷つくことを畏れているからだ。仕方がない。出来れば志々尾に言って欲しかった。だが、それは望めそうもない。もともと、与えられるお菓子を待っている性分ではないのだ。
「俺もお前のことは友達として見れない!」
志々尾が酷く傷ついた表情を浮かべて、良守は内心少しばかり焦る。掴んだ腕を振り解かれないように力を込めながら、渾身の勇気を振り絞って良守は言った。
「俺は、お前が好きなんだ。気持ち悪いって思うかもしんねぇけど、こればっかはどうしようもないみたいなんだ」
言葉を吐き出し終わったあと、奇妙な達成感が胸のうちに沸き上がった。恐る恐る志々尾を見やれば、凍り付いたように固まっている志々尾が瞠目して言葉を失っている。何か言葉を紡ごうとして失敗したのか、口を開きかけて再び閉ざした。
「俺の言ってること解る?『お友達』の好きじゃないぞ。ライクじゃない。ラブの方だ」
自分でも何を言っているのだと思うような事を口にして、良守は思わず額を抑えた。もう少し気の利いた科白は口に出来ないのかと自身のボキャブラリーのなさをなじる。今度から国語の時間の昼寝は控えようと、思わず溜息を吐いた、その時。
「すまん、ちょっと待て」
掴んでいた腕を振り払われて、逆に掴まれた。そのまま金網に両腕を押し付けられて、思わず呻く。気がつけば金網に押し付けられる形で、志々尾に拘束されていた。
「・・・今、ちょっと・・・混乱している」
言葉通りの表情で、志々尾が茫然と呟く。ぎりぎりと手首を金網に押し付けられているのがかなり痛いのだが、あまりに珍しい志々尾の様子に良守は取り敢えず黙って彼の思考がまとまるまで待つことにした。茫然とした表情の中、目だけがせわしなく動いている様から随分と混乱しているのが解る。しばらく沈黙を守って様子を窺えば、不意に志々尾が良守の腕を掴む力を強くした。骨が軋むような痛みに思わず眉を顰めれば、額がぶつかる程の勢いで志々尾が顔を近づけてきた。ともすれば、そのまま唇が触れ合うのではないかと思う程にだ。流石に良守が驚いて身体を強ばらせれば、今だ何かを疑っているような、そんな表情の志々尾が低い声で問うてきた。
「つまり、俺にこういうことをされても良いってことか?」
今度は良守が相手の言葉の意味を理解するのに労力を費やす番だった。思考が理解に追いつく前に、唇に生暖かいものが触れる。ほんの一瞬の感触ではあったが、それは確かなもので、その瞬間に良守は志々尾の言っている意味も、志々尾の起こした行動も、全てを理解して全身の血液という血液が沸騰していくのを感じた。指先まで赤くなって、良守は急上昇した心拍数に頭痛を覚えて後頭部を金網へと預けた。ガシャンと音がして、少しばかり痛みが走る。腕は相変わらず拘束されたままで、志々尾の顔も近いままだ。
「・・・・お前って、結構・・・手ぇ早いのな」
二人して馬鹿みたいに赤い顔をして、いつの間にか終了していた五時間目の鐘の音をバックミュージックにキスだなんてどうかしてる。どうかしているが、どうしようもないくらい飛び跳ねる鼓動は案外喜んでいるみたいで、いっぱいいっぱいに呟いた良守の言葉に志々尾が無言で頷いた。どうやら自覚があったらしい。
「あー・・・、何かもう、マジ飛べるかも」
掴まれた腕を振り解いて抱きつきたかったが、もうしばらくそれは無理そうだ。いい加減手首から先が痺れてきたのだが、もう少しばかり志々尾に拘束されていたいと、良守はそう思った。



良守はこの勝負に勝機を見出していたから強気。
志々尾は惨敗以外考えられなかったから、超弱気。
そんなかんじで。
おまけ


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