りりりりり。
小さく響く携帯電話の音が積もり積もっていた苛立ちを一層助長させる。こんなモノを持たされて、見えない首輪で繋がれているような気がしてならない上に、かけてきている人間が一人しか思いつかないからだ。
いま、その人間の事を考えるだけで夜未は死にたいとさえ思うのだ。


夜の閑話


『春日さん、調査どう?』
「順調よ。何も問題ないわ。じゃぁね」
『ちょっと待ってよ、そんなすぐ切ろうとしなくても良いんじゃない?』
「時間とお金の無駄よ」
『大丈夫。話し放題だから』
「馬鹿みたい」
布団に突っ伏したまま、夜未は吐き捨てるように言う。電話の向こうの男が苦笑した気配が如実に伝わってきて、苛立ちは一層増すばかりだ。
『良守元気?』
「自分で電話したら?」
『あいつ俺からの電話避けるんだよ』
「避けられる弟さんが羨ましいわ」
『君はかかってきたら出ないといけないからね』
電話の向こうで笑う気配がする。どうにもこうにも苛ついて、夜未は勢いに任せて通話を切った。そのまま、携帯を降りたたんで枕の下にいれてしまう。すぐに、枕の下からくぐもった電子音が聞こえてきて、夜未は眉を顰めた。しばらく無視をするが、いつまでもしつこく鳴り響く音に降参する形で再び通話ボタンを押した。今度留守電機能を勉強しようと心に誓う。
「なによ、しつっこいわねぇ!」
『春日さんこそ、何苛立ってんの?』
「あんたの声聞くだけで苛立つのよ」
はぁぁ、と深く溜息を吐く。そのままばさりと寝返りを打って、天井を見上げた。木目に浮かぶ幾つものシミを数えながら、弟は元気そうよと力無く呟いた。
『元気ないね。どうかした?』
「どうかしててもあんたには関係ないでしょ」
『あるよ。君だって夜行の一員なんだから』
「私よりもよっぽど可愛い部下が他に沢山いるでしょ。そっちにその気を回してやんなさいよ」
『それは、限に電話しろって事?』
「知らないわよ」
携帯電話を耳に当てるのも手が怠くて、携帯を耳と布団の間に挟む。そのまま目を閉じて、いっそ眠ってしまおうかと思った。
『限にはさっきしたんだ。君の様子がおかしかったって言ってたよ』
少しばかり笑いを含んだその声に、夜未は舌打ちをしたい気持ちにかられた。
「あのガキ、余計な事を」
『君を怒らせたって落ち込んでたけど』
怒ったの?問いただす声はやんわりとしていて、沈黙を許さないものだ。ああ、このまま眠ってしまえたらと、切に思う。答えたくないし、答えてなんかやらない。
「怒ってないわよ。少し揶揄っただけ」
違う。解っている。自分は怒ってはいないが、確かに苛立ちはした。限にだけではない。今電話をしている男の弟にも、夜未は苛立った。
何故かは解らない。
嘘だ。
何故苛立ったか、自分は解っている。
ただ、解りたくないと思っているだけだ。
解っている癖に、解らないと自分は頭で言い聞かせる。
解らない、解らない、解りたくもない。ああ、何て滑稽な思考回路。ああ、何て無様なこの心。
『春日さん?』
「・・・・・なによ」
『急に黙り込んだから心配になったんだよ』
「白々しい事を」
ああ、もういい加減にして欲しい。溜息を吐く。疲れているのだと、言葉にせずに男に伝えた。もういい加減に、解放して欲しい。
『ねぇ春日さん』
「なによ」
返事はおざなりに、出来るだけ気怠く、そして無気力に。少しの感情も込めはしない。
『そんなに俺の事嫌い?』
ああ、この言葉に即答できたらいいのに。ほんの一瞬だけ、息を止めてしまう自分など死んでしまえばいいのに。
「嫌いよ」
『そっか。悲しいなぁ』
何もかも見透かしたその声が、どうしようもなく夜未を苛立たせる。もう黙って。何も言わないで電話を切って。きっともう、今夜は此方から電話を切る事は出来ないから。
『春日さんはさ、好きな人いるの?』
「あんたに関係ないわよ」
嗚呼、嗚呼、もういい加減にして。いつまでこの閑話を続けるつもり。柔らかな口調で、どうしようもなく私を苛立たせないで。
『関係あるよ』
俺は春日さんの事好きだもの。ああ、いっそ死んでしまおうか。今この瞬間に。そうしたら、この男は泣くのだろうか。それとも、馬鹿な女と嗤うのだろうか。出来れば後者の方が良い。滑稽な自分にはお似合いの末路だ。
「私は、あんたの事嫌いよ」
笑う。嗤う。男を、自分を。嗤って、少しばかり滲んだ視界を無理矢理閉ざし、嗚呼と息を吐く。苛々する。どうしようもない位に。
──怖いなら、何も考えなけりゃいいのよ──
──自分の気持ちを大事にしなさいな──
これは、誰に向けた言葉だったのだろう。相反する言葉を口にして、嗤って、その先に何があるのか見ようともしないのは何故だろう。その先にある何かを畏れているのかも知れない。純粋に、悔しいからかも知れない。理由なんてものはいくらでもあって、一つもないものだ。ただ一つ確かなのは、この男の声は酷く自分を苛立たせるという事だけだ。
『俺は、好きだよ』
ねぇ、声を聞かせてよ。いやよ。出来ればさ、俺が喜ぶような言葉。嫌だって言ってるでしょ。言ってよ。嫌よ、しつこいわね。下らない言葉を繰り返し繰り返し吐き出して、繰り返し男の声を聞いて、苛立ちの波は深く、そして静かに穏やかに広がっていくのだ。
『ねぇ春日さん、どうしたら俺の事好きになってくれる?』
「さぁね、知らないわ」
そんな事を知っていたら、自分が聞きたいわ。知る事が出来たなら、絶対にあんたがしないように手を打つから。
もう、手遅れかも知れないけれど。
喉の奥に引っかかった言葉を呑み込んで、夜未は微かに息を吐いた。
夜の閑話はまだまだ続く。


夜未さんは兄貴の事をこれっぽちも信じていない様子。
単純に、からかわれているのだと思いこんで、思いこもうとしている。






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